曖昧な名前の表記

2025-02-10

言葉の中で特にやっかいなものは人や土地の名前だ。 これらは大体不規則な読み方の当て字から成り立っており、すでに知っているものでなければ読めることはほとんどない。 一つの表記にいくつかの発音が両立する場合は少なくはない。 名前は常用漢字の制限に当たらないため、読み書きは多種多様で、普通のルールでは歯が立たない。 一つの表記が二通りに読まれる場合もあれば、逆に一つの発音が二通りの表記になる場合もある。 その場合は誤字は無理もなく深刻な問題となっている。 つまり、名前の読み書きには丸覚えしかない、という残酷な現実だ。

自分の名前、家族や友達の名前、同僚たちや毎日関わっている人々の名前、歴史上や社会上の重要人物の名前、これらは誰でも知っている。 なぜなら、日常の便宜から特定の名前を覚えてきた結果だ。 しかし、今まで一切関わったことのない人となると、その名前の読み書きができる保証はない。 知っている範囲から読み方を導き出すことができても、その結論をどう確かめるのか。 直接本人に聞くことが最適と思われるかもしれないが、返答の発音と文面の漢字が全く無関係で、ふと思いついた発音を教えられる可能性がある。 辞書を引く方法もあるが、疑問の余地は残る。

偉い人の名前が石碑に刻まれることを想像しよう。 漢字表記の読み方が曖昧であれば、読み間違える可能性がある。 あたかも違う人物を指してしまうこととなる。 正しい発音をカナ文字・ローマ字・記憶で保存する限り、名前は受け継がれていくが、石碑そのものは発音の情報をしっかり捉えていない。 漢字表記だけでは発音は保存されずに忘れ去られていく。 名前が忘れられることは二度死ぬとまで言われており、望ましい状態とは言えないだろう。 発音をしっかり保存する必要がある。

後世にも伝わるよう、名前は発音をしっかり捉える表記が望ましい。 フリガナにせよ、カナ専用にせよ、ローマ字にせよ、様々な方式がある。 ここで強調したいのは次の通りだ。 どんなにありふれた名前でも、どんなに読み飽きた名前でも、発音をはっきりすべきだ。 個人の事情によって知っている名前が違うし、時代につれて名前の出現も変わっていく。 だから、事情や時代に依存しないような、はっきりとした文字にすべきだ。 そうすることで、名前は正しく受け継がれていく。